お嫁においで&夜空を仰いで 

(BGM お嫁においで)

田家)1966年のシングル「お嫁においで」です。ほんとにこんなにウキウキする曲があるのだろうか
   というくらい・・・。

ウキウキしました?

田家)しましたよ。

そうですか、ありがとうございます。

田家)これは若大将シリーズの逆でありまして、曲がヒットしてから同名の映画が作られました。

そうでしたね。

田家)これはウクレレを弾いてて。一緒にやっているのが大橋節夫とハニーアイランダース。

まあ、いい乗りでね。すごいなあと思いながら、ものすごく嬉しかったですね。

田家)ハワイアンに関心は持ってました?

当時、僕がカントリーやってた頃は、ハワイアンがほとんどだったんですよ。非常に興味を持って
ましたし、ハワイに対しての憧れもあったし、スティールギターにも興味を持ってて、学生時代に
お小遣いがたまった時にスティールギター買った記憶があるんですよね。多分安いのを買ったと
思うんです。買う前にエレキでやってみたんだけど弦高が低いからちゃんと鳴らないんで買った。
これを使って多重録音をやったら母親が非常に喜んだのが記憶に残ってます。うちの親父はそう
いう音程の悪いのは止めろって、すげえ勢いで怒られたことがあって。

田家)クラシック一点張りのお父さんは「恋は紅いバラ」とか「君といつまでも」については、
   どうおっしゃってたんですか?

いやあ、売れりゃいいんじゃないのって。

田家)それは、もうスターの発言ですね。

完全にそれしか無いですよ。音楽としての興味は全然(なくて)、後々ピアノコンツェルト作った
時は親父は涙流して喜んでくれましたけどね。そうやって遊んでいるのは親にとっては、子どもは
とにかく好きなことをやってればいいというようなもので。「お嫁においで」はウクレレ持って
30分の間に鼻歌、歌ってて何曲作ったかわからないくらい作ったうちの一つですから。オープン
リールのテープに回しっぱなしで。申し訳ないみたいだけど、ノリノリでやってる時の方が絶対に

受けますね。無理矢理作ろうと思ったり真剣にって考えたりしたらいい曲出来なかったですね。

田家)ですが、岩谷さんのところで「お嫁においで」というタイトルが付いてビックリされた。

お嫁においで、って言ったらみんなその気になっちゃったらどうするの?って。
やっぱり岩谷さんて天才ですね。音、聴いたら詩がそのまんま出てくる。加山さんの音聴いた
だけで詩が浮かんでくるのよねって。え〜え!っていうのが、いつもそうでしたから。

田家)時間が、かからずに?

早いんですよ、お仕事が。だから作詞家ってそういうものか?と。あとで本当はご苦労されて
いるんだと思うようになりましたけどね。

田家)そういう加山さんも、自分で作詞作曲された曲もあります。次の曲はそんな1曲です。
   1966年、作詞作曲、弾厚作。「夜空を仰いで」。

「夜空を仰いで」

田家)これはご自分で詩もお書きになったんですけど、作った時に詩も一緒に出てきたんですか?

これ、船で江ノ島から出て投錨泊して。海が穏やかだったんで。夜、船のボンネットじゃないけど
前の方でギターを弾きながら、ひとりでに出てきちゃった曲ですね。

田家)船の上でひとりでに出来てしまうというのがほんとに自然体っていうことなんですね。
セリフも?

セリフは後から付けました。なんか入れた方がいいなと思いながら。

田家)これは「旅人よ」とのカップリングで発売されて、当初は「夜空を仰いで」がA面で、
   B面が「旅人よ」。後に「旅人よ」もA面扱いになったそんな1曲でありますが。

A面、B面というのは止めようよと僕は言ったんですよ。A、A面で行こうよ、と。そしたら、
もったいないですよ、もう1曲は出来の悪いやつでいいですからって。そういう考え方は良く
ない!いいものだけを俺は出したい!って、偉そうなことを言ったもんでね。

田家)でも、両A面というのは、そこから始まったみたいなもんですもんね。

そうですよ。誰もそんなこと考えてもいないと思いますよ。僕はA、A面で行くと言ったら案の定
「夜空を仰いで」がず〜っとトップだったのが、ある日ひっくり返って「旅人よ」がず〜っと
トップ。ほら、見ろ。だからもったいないんですよって。だから全部A、A面で行こうというのが
続いたんですけどね。

田家)お聴きいただきましたのは66年の大ヒットシングル「夜空を仰いで」でした。

ここまでを期間限定で音源を掲載いたします。(掲載終了しました)

 

2017年08月24日新設