1984年4月に加山さんは、「光進丸3世」で二ヶ月に及ぶサイパンまでの航海を敢行され、その内容が二つのドキュメンタリー番組として放送されました。
まずは「太平洋ど真ん中!!」という番組(後半)をご紹介します。

文中、黒文字は加山さんのナレーション
   
赤文字は福留さんのナレーションです。

エビ漁の漁師達の教えで、サメの居る島があるという。
加山たちは、ただちにその島へ向かう。

「ひらじま」、漁師達は通称「さめじま」と言う。サメは水深15,6mのところに集まるという。
「サメ」その言葉だけで、人は震えあがる。しかし、この海はまだ自然のままだ。

サメのいる島へ向かう。
人と魚とが一つになって生きる海、あるいはここでなら、
この海でなら、サメと人は親しくなれるかも知れない。

いないよ、全然こない。サメが今日はお留守だよ!
日曜日だよ。

そのあくる日も、どうやらサメの国では日曜日であったらしい。そして今日、三度サメに挑戦する。いや、サメとのスキンシップを求めての行動が始まる。

待つこと2時間、潜水も3回目だ。しかし今日もサメは現れない。加山は待ちくたびれて歌い始めた。「浪速恋しぐれ」ならぬ「メジロザメ恋しぐれ」。

サメが、今日はお留守だよ!
「メジロザメ恋しぐれ」を歌う。
「メジロザメ」の仲間がきた。もっともサメらしいサメと言われるこの仲間は、丸い大きな愛嬌のある眼をしているが、人を襲うことがある。泳ぎも達者で海の支配者になるものは、この「メジロザメ」の仲間が多い。

今日の良き日を神に感謝、セーノ!ウォイス!

5月12日、この日は加山の母、小桜葉子さんの命日である。サメと戯れて無事帰られたのは、あるいは母が守ってくれたのかも知れない。こんな一日であった。

次の日、再びサメとのスキンシップに挑む。今日はサンドタイガーシャークが棲むという北の島を目指した。

北の島も無人島である。
ここでは約5000羽のカツオドリが我が家の春を謳歌している。

夕食中。

サンドタイガーシャーク、「白ワニ」ともいう、鋭い牙上の歯、恐ろしげな顔つき、引き締まった身体。人食いざめのイメージによく似合う。
しかし、人間を襲った記録は少ないという。

クルーの佐野君がサメに噛まれた。幸い傷は大したことはなさそうだが、サメはやはりサメだ。

サメに乗った。サメが乗せてくれた。短い間だったが、これで良しとしよう。サメと人間が敵同士ではないことが、わかったのだから。。

サンドタイガーシャーク。 サメに乗った。
光進丸は、新しい仕事に取り掛かる。あの太平洋戦争当時、
このあたりで沈んだ船を捜そうというのである。

間違いないねえ。確認だ。

兄島、滝之浦湾、ひとまるじま沖、そこにかつての海軍武装貨物船、延寿丸が沈んでいた。昭和19年8月、武器弾薬を運ぶ途中、直撃弾を受けて沈没したものとされている。水深約40mの海底、延寿丸、寿命を永くとつけられたその名前が虚しく悲しい。おびただしい砲弾や機雷、そして機関銃の弾丸、それらの信管が外されていないことが不気味だ。
海底にまるで吊り下げられているかのような不気味な鉄の塊、トラックだ。今はほとんど原型を留めない。海の力と、40年近い歳月を思わせる。船底に眠る仲間、安かれ。静かな祈りがそこにある。

沈没船探索。 ユウゼン。
魚の宝庫と言われる嫁島、ここではどんな仲間たちに会えるのだろうか?
この魚の名はユウゼン、あの友禅模様からとっている。小笠原と伊豆諸島にしか居ない魚である。イソマグロの群れ、大きなものは1m以上もあり、80kgもの体重を持つという。
敏感な魚だ。どうしても近づくことはできない。イソマグロとの友情はどうやら諦めたほうがよさそうだ。
キイロハギ。 イソマグロ。
父島を出発し、南硫黄島へ向かう。さらに南下するのだ。逆に日本本土に向かうペギーとタイラーそして中島君が見送ってくれた。

南硫黄島までここから173マイル、約13時間の航海である。加山の心の奥深く秘められた目的は、まだ果たされてはいない。

南硫黄島へ向かう。

南硫黄島の海へ、ビデオカメラが入るのは初めてのことだ。海中宙返り、いや本人はアメリカのNASAで覚えた宇宙遊泳のつもりらしい。海で宇宙遊泳を気取る男も、多分史上初めてではないだろうか。
変わった訪問者が、光進丸の灯を辿ってきた。ウミドリである。平気で加山の腕に乗る。ここでは、鳥達にとっても人間は敵ではない。自然がそのまま息づいている島なのである。

一夜の宿を求めてきました。明日まで、ここで寝てっていいからな。
うわっ、また一匹入ってきた珍しいな。どうしたんだ。

宇宙遊泳!? 明日まで、ここで寝てって
いいからな。

夜の海底を見てみよう。そこには、昼では見られない魚たちの世界があるはずだ。眠っている魚もいる。これはなんだ。サメだ。スリーピングシャーク、ネムリブカだ。呑気に眠っているように見えるが安心はできない。何しろ、体長が2mにもなるものがいるのだ。

トビウオの群れ、光を慕ってきたのか。オオメナツトビ、亜熱帯系の水域、台湾、小笠原に分布し、それより北方では八丈島で稀にみられるくらいである。今見るトビウオの産卵、このようにトビウオの産卵風景をカメラで捉えたのは、世界最初のことである。オオメナツトビ、その群れを目掛けてサメが襲い掛かる。

ネムリブカ。 オオメナツトビ。
午前3時30分、光進丸は南硫黄島をあとにして、硫黄島、一般に中硫黄といわれる島へ向かった。ところが、突然濃霧に襲われた。霧、それは船舶にとって最も危険な敵とされている。加山始めクルーは緊張した。とりわけ加山は、胸に秘めた目的のため、心を引き締めた。

6時40分、硫黄島へ投錨。昭和20年、太平洋戦争最大の激戦地となったこの島で、学生時代からの親友、峰岸君のお父さんは39歳で、そして大島の古くからのファンである菊池さんの息子さんは17歳の若さで玉砕された。

硫黄島へ。 黙祷。
礼、黙祷。
峰岸さん、私は貴方のご子息の慎一君と、学生時代から深くつき合わせてもらっているものです。いや、単に親友という
ことだけでなく、私が現在の俳優と言う仕事を選ぶについては、慎一君の助言が大きな力となってくれました。

峰岸さん、慎一君は今、社会人として、ある会社の重要な仕事で活躍しています。どうかご安心ください。

菊池さん、貴方の家族の皆さんは、こんな私にとても良くしてくださり、励ましてくださいます。皆さん本当に心優しい素晴らしい家族です。

峰岸さん、菊池さん、そしてここに眠る全ての皆さん、今、私達は平和と言う美酒に酔い、ともすれば、皆さん方の死を、遠い昔の事と忘れがちになっています。けれども、現代に生きる私達の幸せは、全て貴方方という尊い礎があったからこそ、約束されたものなんです。そのことをもう一度、胸に甦らせこれからを大切に生きて行きたいと思っています。
どうか、いつまでも見つめ続けていてください。

征四郎が嗚咽を漏らしている。そうだ、彼のオヤジさんはフィリピンで戦死されたんだ。久野、今俺は君に何も言えん。

美恵子)お父様、海のご機嫌はどうですか?小笠原に着くまでは、とても心配しました。でも無事に着いたと連絡がきて、嬉しくて涙が出ました。船に乗っているお父様をこんなに心配したのは初めてのことです。
信宏が「お父様が、居なくて寂しいでしょう?」なんて、わかったようなことを言って、日々子供たちの成長に嬉しいような怖いような複雑な気持ちです。お仕事のスタッフの皆さん、クルーの皆さん、どうか無事な航海、祈っています。  美恵子

第一の目的地、小笠原諸島に今別れを告げる。光進丸はさらに南の海へと向かっている。南の海は優しいと言ったが、果たしてどうだろうか。そうではないかも知れない。しかし、どんなことがあっても、俺は、俺と光進丸と全てのクルーは、元気でまっ黒に日焼けして日本に帰る。あと一ヵ月半だ。長いが待っててくれ。かみさん。

終わり。

いろんな加山さんをお楽しみください。

「太平洋クルージング」はこちらから。

10年10月16日新設