NHKはいい番組を作ってくれました。
古希(70歳)を迎えられた加山さんの特番「永遠の若大将」。
これまでにもこの種の特番が多く作れられていますが、間違いなく一番にランクされると思います。
加山さんの言葉を中心にゲストの方々とのトークやインタビューをレポートしました。
2時間では足りません。ぜひ続編を作っていただきたいものです。

(2007年8月9日 NHKBS2にて放送)

パート2
東宝入社
小谷監督のインタビュー
映画というものの、表現がわざとらしいと思う部分が、非常に多いと思って抵抗を感じてたんですよね。なんでもっと自然に出来ないんだろうとか、自分ではそんなことしなくたって、そういうシチュエーションになればそれでいいんじゃないかって、思ってることがよくあったんですよね。

本当にいつ辞めようかってばかり考えてて、非常に不真面目だったんですけど。自分の性格に合ってないんじゃないかって思ったり、すぐ茅ヶ崎へ帰ってたんですよ。仕事が終わると真っ先に海に行っちゃいますしね。
出来上がった映画はどうでも良かったんですよね。

赤ひげ、黒澤監督は「椿三十朗」での加山の演技を気にいっていて再びキャスティングした。
野上照代さんのインタビュー赤ひげのスクリプター)
自分の立場と養生所の中に入れられた保本登と同んなじような物だなって思いました。
赤ひげ先生が黒澤先生で養生所が撮影所でしたから、俺はこの中で生きていこうと。
黒澤さんみたいな優れた人がいて世界的な人なんだと思ったら、先生の言うことだったら俺はそれがすべてだと思えるくらい尊敬してましたんでね。

自分の集中してなりきってるところというのは結構あるんですよ。本当にそういうシチュエイションの中に自分が入り込んでいるという気がしてましたね

赤ひげのワンシーン

この後の作品というのはこれは俺の生きる道だしということで心がけが変わってたはずですよ。芝居はそんなに変わってはいないと思うんですけど、集中力とやる気を起こしていたということだけは間違いないですね。

レッツゴー若大将のシーン

自分自身の中にあんなに格好良くないけど、ああいう部分があるわけですよ。やってきたところが似ているところがいっぱいある。共通点があるので、田沼雄一という人間は愛すべき人間で好きですね。

雄一と澄ちゃんと江口の和やかトーク(ご存知「若大将シリーズ」のトリオの復活です)
「ある日渚に」
特設スタジオにて
(With KAYAMABANDO)
「美しいヴィーナス」
(With KAYAMABANDO
+竹中直人)
竹中直人さんとのトーク
1970年の激震、母の死、ホテルの倒産による莫大な借金を背負う。
竹竿の天辺に乗っけられてね、奉られたっていうか祀り上げられちゃって大騒ぎしてるけどもいつ倒れるか、わからないなって思ってたんですよ。
だから本当思い通りなんですよね、バッタリ倒れちゃった。自分の不安が的中したっていうか
33歳での結婚、若大将シリーズの終了、冬の時代の到来
どうしてあんなにチヤホヤしていた人たちが背を向けて去っていくのかなと、ああこれが本当の姿なんだなと。
だからバッタリ倒れてよかったなと思いましたよ。
1975年雪解けの兆し、若大将シリーズのオールナイト上映
岩内監督のインタビュー
一緒に騒いだり、叫んだり拍手したり大合唱してるやつらがいるって話聞いたときに、へえ良かったあ!
若大将見捨てられてねえか。じゃあ、これでまだ飯食えるかもしれないなあと、本当に助けられたと思って。
それからテレビやなんかの仕事が増えてきましたからねえ。
新田和長さんのインタビュー
結局映画の中でヒットした曲じゃあないのばかりで。
「海 その愛」とか「僕の妹に」は映画と関係ないですからね。
そういう意味では新たに音楽の作家として、あるいは歌手として仕事として出来るという印をいただいたようなもんですよね。

「海 その愛」古希コンサート

絵(色他)について

空でもねえコバルト系の色が入るんですよね、実際には。場合によってはクレムソンレッドといって赤も入れたりするんだよね。
空って段々下のほうが薄くなってくるんだよね。

波はみんな寄せてくるのしか描かない、どんな波でも引いていくところがあるんだ。引いていく中心がここにあるんだってことを描きたかったんだ。

「若き日の俺」について
不思議なんだよ、描いてるうちに凄い小さいのを拡大してみたら、どう見ても俺なんだよな。自分を意識して描いたんじゃなくて、描いてるうちに自分に似てるなあっ思って、”ああ俺だって”。
タイトルにしちゃったんだよね。

古希を迎えた心境
死ぬまで何かを求めながら、それがなんなのかはわからないけれど多分。
人間の、この世に生まれてきた目的とか意味とか理由かな、そういうものをず〜っと探っているんだと思うんだよね。
最後には感謝に変わっていかなければいけないと思う。
すべてのものに、存在そのものに。
人が喜んでくれることを自分がするとか出来るとかっていうことが、自分自身もやってられるし、もしかしたらそれが俺の目的であって、義務でもあるのかなと思う。
そして生涯自分が生きている間中、何かをできることを、一生懸命になってやることが、生きていることを自覚できるという大事なことだっていうことだね。

いつかやっぱり、画家としても音楽家としても認められたいという気持ちがあるんだよね。
俺が例えば死んじゃっても、100年後にこの絵はかなりの技術を持った人の絵だねって言われたいんだ。
音楽もこれは一体誰が作曲したんだろうって、言われるメロディが、どこかに一生の間に一曲でもいいなあって思ってるんですよ。それがヒットしたとかしないとかじゃあなくて、時間を越えた中で遭遇できたらなあっていう。それがエネルギーの根源にねっているような気がするんですよ。

新曲レコーディング風景
新田和長さんのインタビュー#2
「星の旅人」特設スタジオ(With KAYAMABANDO+谷村新司)
谷村新司さんとのトーク(#2)
「第一楽章」特設スタジオ(With KAYAMABANDO
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07年09月09日新設