電機労連日中友好青年の船
青春の船出 ひろげよう連帯の輪
(1983・4・28〜5・5)
写真は「サンフラワー7のマストに旗めく電機労連旗」です。
 早いもので、私が「日中友好青年の船」で中国を訪問してから、27年という歳月が経ちました。
 今回は、当時作成した訪問記を再現したいと思います。20代後半の、自分の当時の考えが(中国という国の捉え方について等)判る貴重な資料です。
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今回のスケジュールマップです。
大阪南港から出発して、天津に上陸、そして天津から博多港へ戻ってきました。
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写真上左:
 一緒に参加した、会社の先輩と一緒に、大阪南港で。
写真上右:
 天津での「文芸の夕べ」での、中国の踊り。
 日本電機労連 日中友好青年の船に参加して

   1983’4・28〜5・5

          福井営業所  田苅和幸

 中国の人は、なぜあんなに素朴で純粋なのだろう?
 ある人は中国人の生活ぶりを見て、日本より15年は遅れていると言いました。私もそう思いました。北京のテレビ工場を見学しましたが、そこで見た、ベルトコンベアで流れてくる部品を、女工さんがハンダゴテを片手に流れ作業をして入る様子には、確かに日本の15〜20年前の姿をオーバーラップさせていました。優越感に似た気持ちを持ちながら見ていた私でしたが、そこに働いている人達の顔を見ているうちに、冒頭の疑問をもちました。
 テレビ工場を見学した日は、実は工場が休みの日でしたが、工場の人達は、休みにもかかわらず我々を出迎えてくれたのです。嫌な顔一つせず、笑顔で迎えてくれました。私の「ニーハオ」という呼びかけには、必ず笑顔が返ってきましたし、交わした握手には、「熱烈歓迎」のぬくもりがありました。
 バスに1時間揺られても、遥か地平線には山一つ見えない天津の平野、月からも確認出来るという万里の長城、そんな広大な自然の中で、培われた人間性でしょうか、とても大らかで暖かい気がしました。そして我々に向けられた目も、暖かいものでした。
 北京人民大会堂での、全国総工会歓迎宴会では、中国の労働者の方々のテーブルに一緒に座り、通訳を通じての交流となったのですが,礼儀正さ、人懐っこさは今の日本の若い人には見られないように思いました。
 私が座ったテーブルには、21歳の男性 黄(ホワン)さんと、24歳の女性除(シー)さんの二人が座りました。二人とも北京のテレビ工場で働いているという事でした。常に私達に爛々と輝いた眼差しを向け、熱心に話を聞いていました。除さんは、週に一度ラジオで日本語を勉強しているということで、日本語で頻りに話しかけてくれました。そんな中で結婚してますか?恋人はいますか?という私の質問に、顔を赤らめて応えてくれたのが印象的でした。中国での結婚年令は、男性27歳、女性が24歳が平均だということでした。
 黄さん除さん共、次の日の北京工人体育館での文芸交歓の夕べにも出席するという事だったので、再会を約束して別れました。
 次の日、万里の長城見学等のスケジュールを終え、北京での最後の行事を行う北京工人体育館へ着いた、私達を待ち受けていたのは、入口でのドラ、太鼓、竜の踊りの熱烈歓迎であり、そして中を埋め尽くした15,000人の人達でした。
 私は、一番最後に入場したのですが、15,000人の拍手に迎えられ感激で胸が一杯になりました。数々の中国の歌や曲芸、踊りを見て中国を実感しました。最後に、我々もお返しに「めだかの兄弟」の踊りを披露しましたが、体育館の床から見上げる15,000人の眺めは、爽快で私は思いっきり大きく手を振っていたのを覚えています。
 芸交歓会も終わり、出口へ急ぐ私に二人の中国人が近寄ってきました。そうです、黄さんと除さんだったのです。人で混雑する中を、二人は私を見つけて挨拶に来てくれたのでした。私は驚きと感謝で飛び上がらんばかりでした。二人の暖かさに胸が熱くなりました。しかし、通訳のいない場所での私達の会話は、あまりにも貧弱でした。「ニーハオ」「謝、謝」・・・ただ一言、二言話しかけるだけでした。
 私は、感謝の気持ちを充分伝えられないまま、握手をして別れるしかありませんでした。もう少し中国語が話せたら・・・。帰りのバスの中では中国人の暖かさ、優しさに触れた感激で、いつまでも興奮していました。
 5月1日朝、7時前から300人以上の中国の子供達や労働者がドラや太鼓、ラッパ、踊りそして「熱烈歓迎 日本電機労連日中友好青年の船」の横断幕で歓迎してくれる中を上陸、5月3日14時、同じ中を離れるまでの中国での2日半は、まさに熱烈歓迎そのものでした。
中国側の歓迎に心から感謝します。

詳細記事は下からどうぞ!。

 熱烈歓迎  天安門広場
 合 影  故宮博物館
 万里の長城  トピックス
 明の十三陵  工場見学
 文芸の夕べ  スポーツ交流
 ある人は言いました。我々が見たのは、中国の良い一面にしかに過ぎないと、もっと別の中国があると。でも、私はこの目で見て感じた中国を、信じたいと思います。
 最後に、この青年の船に参加できる機会を与えて下さった、組合及び会社の皆様に心から感謝致します。
 ありがとうございました。謝、謝
                                 以上 
 11年02月12日 新規作成